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無題

 

表参道にある「本の場所」というところに、山下澄人さんの小説「壁抜けの谷」の朗読会を聞きに行った。
山下澄人さんが本の一部を朗読するのと、制作中のことなどを山下さんと編集者の方が

当時のメールを見たりして振り返りながら話すという形。
朗読よりも連載の間の編集者の方とのやりとりと、どんな気持ちで作ってたのかという話がほとんどだったけど

やっぱりそれがおもしろかった。話のひとつひとつにいろんなことを思って、そうだ!そうか!って

いろんなものが見えるのだけど、話が終わって帰る頃ちゃんと覚えてられるものが少ないのが悔しい。
いつもそうだ。すみっこだけ残るような感じ。でもそういうものなのかもと最近思うようになった。

今の自分に掬いとれるのはそのくらいで、掬えなかったものはもし覚えてても忘れても同じことなんじゃないかと思う。

そう思わないと悲しいからでもあるけど。でも、その瞬間に感じられることを楽しむことこそ大事なんだと

それこそ山下澄人さんの小説を読むようになってから思うようになった。

全部は覚えられないし、覚えなくていいんだと思う。今自分の中に残ってるのは、なんだろう、

まだ覚えてるいろいろが頭の中に漂ってる。まだ書けないから先にパンケーキを食べよう。
 
パンケーキは半分くらいまでが甘さがすごく美味しい。
後半の半分は、甘すぎる、という気持ちになってくる。

制作の裏側として連載中の山下澄人さんと編集者の方とのメールのやりとりをたくさん見せてくれて、

それがすごくおもしろかった。その山下さんのメールを見ていて、そのときの自分の状況を

ごまかさずにちゃんと言葉に表すのが、すごい大事なことだなぁと思った。
いや、それは仕事の上で当たり前のことなんだろうけど、自分はそれができてないから、ダメなんだよなぁと反省した。
私は良く見えるようにごまかしてしまう。そういうのは、作品にも現れるんだろうなと思った。
あとやっぱり一番そうだよなぁって思ったのは、最後のお客さんからの質問の中であった、

「よく書けたと思うときの文章と、だめだったと思うときの文章は書いてるときに何か違うものがありますか?」

という質問に対しての答えで、「こういう形にしようと頭の中でできていて、手があとからついてくる形のときは

良くないとき。頭の中にイメージがちゃんとなくて、手が先に動いて書いて、それからこれは何だろう?

と考えるときが良いとき。」という話。こういうことは多分去年の「鳥の会議」発売記念のトークセッションの

ときにも話していたと思うけど、その時もそうだなぁって思った気がするけど(笑)今日もそうだなぁと思った。
自分の作品もそんな気がするのだ。それは多分、自分がそういう作品を見たいってことなんだなと今書いてて気づいた。

自分から出てくる、頭の中ですら見えたことのないものが見たいんだ。

大事(?)なのは、どうやったら良くできる状態にいつも持っていけるかってことだなぁ。

やっぱりそれはとにかく手を動かしてみることだなぁといつもここに戻ってくる。
頭だけじゃ考えられない、というか、決まったものしか出てこないって感じがする。

私の場合、手を使ったって大差ないのかもしれないけど。でもその方がいいんだよなと今は思う。
 
話を聞いてる間、すごく自分も作りたくなってた。それを明日も明後日もその先もずっと継続させろ自分。